2009年6月1日月曜日

30年前の鋳造現場

30年前、私は「栄興社」と言う所の「職業訓練生」でした。
けして、優秀な方では無く、20代近い若者がやるような事をやっていました。
(川口駅から京浜東北線で新宿まで、途中で池袋で乗り換えたかな)
東京があこがれの町で、20分程度で新宿へ行ける町、川口市が好きでした。
土曜の午後5時、作業終了の合図が鳴れば、鋳造機から離れる。しかし、ダイカストて、溶解した溶湯を処理しなくてはならない。(あの当時、丸炉でした)100㌔位の溶解炉、くみ出すのが、5時のチャイムが鳴ってから!!しかし、頭使ったね、あの頃!(いいかげんだった事も有る)午後4時には、溶解炉に材料を入れない。(くみ出すのが嫌だから)鉄るつぼで、半分くらい溶湯が残っていてもOKでした。(割れないから)そんな段取りを昼休み頃から、仲間連中と話しながら、頭がフル回転!!いかに早く新宿に行くか?道具の片付け、溶湯のくみ出し、機械の掃除、鋳造をやりながらやっていた記憶がある。
色々なお客さんと話しをしていると、そんな話しを思い出します。

さてさて、油性離型剤の話しになりますが、
「Eカメラシャーシ」と言う鋳造製品が有り、とにかくスケルトン、骨のダイカスト品。カメラの骨組みをダイカストでやっていました。それに使っていた離型剤が、油性離型剤で、外形にして2㎜程度の四角い骨を組み立てた様な形の製品を鋳造するのですが、金型温度が上がらない。水溶性離型剤を使ってハンドスプレーで鋳造しても金型温度が上昇しないから、鋳造出来ない。だから油性、四角い筐体ですから、センター射出。30年前!!理屈に合っていたな?と思うことが有る。次回!!

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